短さは恥ではない

いつの間にか音泉ラジオ局のアプリを消していた。

もう数年前程になるのだが、ヒーローを見る子供(絶滅危惧種かもだが)のように毎週を楽しみにしていたことは覚えている。

基本的に人の話を聞くのは好きである。

ただ、何とも失礼な話で恥ずかしい話であるが、自分の中でその人の方向性──考え方や場面場面で取り得る行動を私が思い描けてしまうということ──を理解したように思えると次第に離れていくことが多い(単に私が飽きっぽいだけなのかもだが)。

※反対に考えて欲しいのだが、長い間一つことを続けているけれど、実は損を取り返せると信じ込んで続けている「塩漬け」な人もいるのではないだろうか。

だから、アンダーグラウンドにある黒に近いグレーな手段で得た過去の放送分も含めて半年ちょっとの間でも聴いていたのは少し珍しかったと云えるだろう。

ただ、アプリケーションまで消すのは割と珍しいのだ。

基本的に、自分のやって来たことがどんなに無価値で遠回りだったとしても、それ自体に意味はあったという教育を数多のものから受けてきたので、ふとした瞬間に取り出せるよう何処かに跡を残しておくのだ。

まあ、このふとした瞬間というのがここ数年非常に多くなっている。

様々な部分で繋がってくるのだ。

これは業界の規模が小さいのか──翻って活動的な人が限られているから比較的受動的な私の目でも留まる──所謂「オススメ」機能が優秀過ぎて、なんだかんだ云っても私の趣味はそう変わっていないことを暗に告げられているのか判断しかねる。

僅かだが、本当に偶然という可能性もありえるかもだ。

ただ、数年経ってもまだラジオが当たり前のように続いている番組が(全てではないにしても)あるのは正直恐ろしい。

私のイメージではアニメ系のラジオ番組がベースで、その手の番組はそのアニメが終われば自然と消滅というより、事前に最終回は12回で〜と決まっている(人気の有無に関係なく終了)。

だから、見ていた番組は存続においての趣旨が違う部分も勿論だが、自力が凄いのだろう。

そうやって考えると、長々と付き合うことも大切なようにも感じられるが、そのときの感性を大事にしたいとも思う。


改めて探すとスマートフォンの方は消したが、タブレットでは相変わらず腐らせていたので(ある意味)安心したのだが…

もしかすると、タブレットの方が他のことと並行しやすいから移していただけかもしれない。



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