――あるいは、成長?

失恋・・・をしたのだと思っている。

 

パートナーではない(残念かもだ)。

かといって玉砕でもない。

 

初めは――彼女に。

ただ、それは的を射ていなかった。

 

次いで物語に。

もう少し先があるはずだ。

 

そこから自分に。周りに。世界に。

 

広すぎることもあるが、結構せまくるしい。

矮小にみえて、尊大だったりもする。

 

「世界」なんて少々大げさだと思うかい。

 

でも、それは・・・なんというか遅すぎる別離のようで、宿題を家に置き忘れた午前に似ていた。

 

まあ忘れられた方は、たまったものじゃないのだが。

 

だから・・・だから、取り戻す/つかみ取る のも困難な気がしていた。

 

されど、解はそう多くなく。

ありきたりで、どこにでもある陳腐な/貴重な ものだ。

 

だから何かが起こるわけでもない。

だから自分が許されるわけでもない。

 

――道は前にはないのだから。 

生存報告?

死ぬにはまだ早過ぎる

別に追い詰められてる訳でもけれど
無性に悲しくなる事もある

昔のログを見返していて
勝手に仲良くなった気がしていて
そうでなかった事もある

言葉がヘンな文章でも
想いが伝わる事もあって
そうでない事も多い

他人の妄想に付き合って
勝手に共感して
道連れになる時もあったり

そもそもそんなに人はおらず
でも悩むには充分で

孤独になれば簡単で
当たり前の天気に嫉妬して
そんなことより無気力で

優しい人が多いのに
不安な事に目を向ける

嬉しい事も感謝したい事も謝りたい事も沢山あって
全部が叶うとは言い切れないけれど
我が儘なままでいたくて

良い事があったのに
台無しにしてしまう自分に今更気付いて
自信をなくす

そんな自分でも認めてくれる人がいる事に
余計に悩む

散らばった部屋となんでもない昼間
中途半端に広げた本たちは
仕舞いきれないでいて

それはやっぱり諦めきれない証

見たいものも知りたい事もしたい事だってあるのだから
食べたいものは見つかっていないが

変わらない自分なんてないと信じていたけれど
そんなに変わっていないようで
でもきっと変わったと信じている

格好良い自分でいたくて
それだけが自分でなくて
貶められたい訳でもなくて
周りと比べたいようで
負けず嫌いで
努力が苦手で
でも執着にも似た継続はあったりして
それも中途半端かもしれないけれど

普通の人と違う気がして
そうでありたいだけかもしれなくて
やっぱり「自分」を追い求めて
そんなことにも意味はあると強がっていたい





電子の海に流すべきではなかったかも

【ネタバレ有】新劇場版エヴァンゲリオンの思い出【語りたい】

※深い設定に踏み込んだり、考察を披露したりはしません。小噺、陰謀論めいた面白い記事を読みたい方は別の所をオススメします。見るかどうか迷っている方は、きっとテレビでやると思うよとは云っておきます。


私は多分エヴァが好きだった。

今でも嫌いではないし、こうして「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見に行ってきたくらいには興味がある。もう少し踏み込んで云えば、公開初日を狙うほどではないが、見ておきたいくらいの心持ちだ。

恐らく「Q」の頃からそんな感覚に近いのかもしれない。

私がエヴァを知って、なおかつ(一番)ハマったのが「破」の地上波放送版──今思えば「Q」の公開のための番宣だったのかもしれない──を見たときだから、かれこれ8年は軽く過ぎている。そのときの衝撃──感動ではないと思う──は今も残り香的にあるし、軽度(?)のアニメファンへと沈んでいった傷は今も続いていて簡単に忘れられようものがない。

だが、やはり一番ハマっていたときの活発さは、少なくとも自分の中では、凄まじいように思える。本当に知識のある人や、分析が上手い人、一見与太話にも似たトンデモ説を披露する人(でも筋が通っているので大外れと言い難いのが面白い)など、数多の凄い方がいる界隈では、マウンティングにもならないが、旧エヴァ本編と旧劇を見終わった後にエヴァ関連の書籍は数多も読んだし、そこに載っているような関連書籍も勿論、先程挙げたような話をするブログ、動画も何日、何ヶ月ほど漁ったのか定かではない。今はもうほとんど覚えていないが(悲しみ)。

そうはいっても、今と同じく本編以外の動きを情報として、それほど仕入れない残念な性分なことも相まって、興味の主な対象がエヴァから他へとシフトしていく。

だから(?)「Q」を見たときに世間で言われているほど意味が分からない加減に固執していなかった──むしろ妙に納得感があった気もする──し、なんというか「感じていた」気がする。これは全く悪いことではないとは云え、後で己がバカだったのを恥じているが、まあお焚き上げ的に書いているので、記録しておく。内容を理解できなかった際に述べられる「庵野さんはストーリーを展開するよりも撮りたい映像を優先して話を展開させる」みたいな全く見当違いでもないが…的な『最大限楽しむ』立場を離れた物の見方をしている。

脱線したが、そんなエヴァに平熱な──「冷め」てはいないが、全くのお熱ではない。さりとて、ただの最近の(1シリーズで10年以上かかっているけど)アニメと一緒くたにしたくない気分──自分だが、今回の最終作は楽しめた

最近はアニメをエンターテインメントとして見る傾向が強い部分も大きいのかもしれないが、ヴンダー──音しか分からないので違っていたら訂正指摘コメント求む──が作品世界の始まりの地である南極に攻め込んでいるシーンに興奮したし、コックピット視点は完全にアトラクションを意識しているのではないだろうか。なんかBGMもちょっと愉快だったし。その後のL結界突入後の無双ゲー感も良い感じにラストパートを演出していた気がする。自分の中では本当に終わらせるんだなと安心感を得ていた。

他にもエンタメを意識していそうな所はたくさんあると思う。先ほども書いたが、テレビ版では、ネルフトップの2人だけが始まりの地である南極に行っただけで、そこまで触れられなかった点。トウジと委員長がくっついて、更にその後を描いたり、アスカのケンケン呼びから妙に距離感の近さを感じて、実はヤることヤっているのではと変に想像力を掻き立てさせられたり…。当たらずとも遠からずだったが、ある意味これは前来の「エヴァファン」を駆逐しかねない動きか?

そもそも、メインの舞台であった第3新東京市を壊して──それは「Q」の時点からだったのだが、それに気づいてなかった愚か者が私です。──第3村や匂わされていた欧州を舞台にしたエヴァ関連部品の奪還(これなんかヨーロッパでの一部先行公開になぞらえた粋な計らい)などが良くも悪くも俺たち、私たちの妄想・想像したエヴァのifに近いものではなかろうか。

親子ゲンカするなら親父もエヴァに乗ってしまう方がスッキリするし、セカンドインパクトの生き残りであるミサトがエヴァ…ではないもののヴンダーを操って戦うなんて展開は見覚えがある。前述の作中キャラのカップリングだって完全に盲点だったとは正直言い難いのではなかろうか。

ともかく、そういった数多のファンたちの(一部ではあるが)想像を映像として公式からお出ししてくれた、ある種リゼロでも見られるような「撮りたいシーンを取捨選択するくらいなら全部撮ってしまおう」という方向に感じた。これでも製作陣・ファンからしたら足りないのかもしれないが。

上映開始して直ぐの「これまでのエヴァンゲリオン」といった展開のポイントを踏まえつつ、前作「Q」から今作まで期間が空いて内容を忘れているだろうことをメタったのも面白かったと云えるのだが、これは意図したものではなく、嘲笑的な悪い見方かもしれない。


だいぶ話がダラダラしたものになってきた気がするので、映画の内容に目を向け直そう。

本編でも語られていたが(間に受けて良いのか?)、これは「碇ゲンドウ」(=きっと私みたいな?エヴァおじさん)の救済を主目的としてエヴァを終わらせようとした話だ。なんだかんだ終わらないんだろうとは思う、個人的には気持ちよく終わったシンフォギアだってアプリでは新たな動きが続いているみたいだし。ただこれを憎んだり、悲しんだりするのはお門違いだ。まあ少しの間そうなるのは当然だし、好きな作品であればひとしおだろう。だから、ファンな人ほど、今はエヴァが綺麗に終わったことを受け止め、存分に死ぬべきだ。だが、いつか作品を生んでくれた製作陣に感謝し、それを知って楽しめた自分を誇っていけば、また新たな始まりの風に出会えるのだと気付ければ幸いだ。

そんな訳で、自分の中での結論(モナリザ)は既にそこにいたし、やはり今回もその姿勢を貫いて、生きていきたいのだが、ちょっとだけ気になる余白がある。

魂の物質化──型月がメインな私としてはどうしても例の第3魔法を思い浮かべてしまうし、マイナス宇宙とかも虚数潜航と同系統の発想だなあとか妄想・妄言してしまう──ではない方法で還されたように見えるゲンドウやミサト(こっちは言い訳のしようがなく戦死だろうが)は「エヴァなし世界」(NOT世界がこれに当たるのか)でどうなったのか少しだけ興味がある。あとやっぱりマリのシンジに対する発言がいまいち追いきれなかったのは(明らかにこちらの読解力不足だが)残念だ。もう一度全編見直すべきだが、変にしっかりと「終わった」という余韻を楽しみたい病気が足枷になっているので、これはふとした時に目に入るであろう考察動画・ブログに期待したいと思う。


──縁が皆を導いてくれるはずだから。



※何か思うことがあれば、「いいね」や感想を貰えると私の気持ちを揺さぶれます。気楽にどうぞ!

ガンダムビルドダイバーズRe:RISEを語りたかった

また一つ年を取れて幸せな私です。

 

ビルドダイバーズRe:RISE」(以下リライズ)を視聴したので、その感想をば。

 

一応感想の前に、私の背景を語っておくと「ビルドシリーズ」は初見。

事前知識で知っている概要は、作品名やいくつかシリーズがある事、いわゆる兵器としてのガンダムというよりも既存の「ガンプラ」や、それを改造したプラモデル、モデラーの話という事だ。ダンボール戦機みたいな?装甲娘も面白いので見てね(これが言いたかった)。

 

そんな身分で何故リライズかと云えば、別段高尚な理由はなく、アマプラで無料(←お金の色っぽい?)だったからだ。あとレット美とゼルフィカールの髪のグラデ塗装練習用にダイバーナミを購入したからという事情もある。それなら余計に前作のダイバーズを見るべきなのだけれど、一先ず見られるときに見ておくのも大事だしね♡

 

ただ、前作に関わらず、作品単体でも十分楽しめると思っている。

 

むしろ、作品の構成が後半を盛り上げるために作られていて、その反動か初見時には前半がいまいち理解し辛かったり、ひどい場合には飽きてしまうかもしれない。だが、前半部分に関しても、登場人物の背景を踏まえた上で視聴すれば、行動理由や心情をより深く理解出来、細かい内容も面白いので、一概に出来が悪いとはならない。

 

要するに何回も見るんだよぉ!と云う事だ。

 

ただ、制作の方も、そういった構成なのを理解した上で、見る側を飽きさせない為の工夫として、EDのお洒落イントロを最大限活用している。うまく言葉に出来ないのだが、どの回も綺麗に終わりを繋げてくれているので、作品の余韻をしっかりと味わいながら、また見たいなと思わせてくるのだ。※前半OPと後半EDを歌っている「スピラ・スピカ」さんはあの(?)「戦翼のシグルドリーヴァ」のEDも歌っているのだ。縁深いなぁ(どうでも良い)

 

………

 

と云った風に書き始めてのは良いのだが、あまりにも作品内容に踏み込めていない事に気付き断念してしまった。

 

ELダイバー組がターンAで登場した――ボルジャーノンとかではなく――機体と関連が強い(気付いていないだけで他にも小ネタが無数にあるはず)とか、アルスとヒロトが似通っていたり、(雰囲気だけだが)他ビルドシリーズのキャラクターがメインキャラの為に力を貸す展開とか、後半になると急速に気合いと覚悟が固まる展開や、月での勢いの感じがシンフォギアじゃん(5D`sでも可)とか、話の展開やコアガンダムやプラネッツシステム関連の発想はとても興味をそそられたけれど、実はそこまでプラモ買いたいな欲が薄い作品だったな(私だけかもだが)とか、実は俺ケモもいけるんだよねとか、堀江晶太最高かよとか、色々書きたいことはあるのだけれど、逆に多すぎて、まとまらなかった非力な私を許してほしい。

 

 最後までこれを読んでくれた方は、(こいつ何言ってるんだ)と思っているだろう。

 

まずは見てくれ。そしたらきっと分り合える。

 


第1話|ガンダムビルドダイバーズRe:RISE【ガンチャン】

Youtubeリンク(ニコニコは有料だし、アマプラも加入していなければ見られないと思うので)

※パソコンから記事を書くと、リンクが綺麗(?)に貼れるのかぁ

【FA:G製作】脱素人の日【スティレット準備編】

フレズヴェルク・アーテル(ガール)を買おうか悩んでいたらブキヤのオンラインショップが売り切れていた私です。

※多々買いに挑もうとする者は積みを甘んじて受け入れる覚悟しなくてはならないか、それを越えるスピードで作成するしかないのかもしれない。高値で買うのは最終手段。

1ヶ月半近く何も記事の更新がないのは読んでくれている方(いらっしゃると信じている)に申し訳ないので、これからの計画リスト・購入予定品リスト的な記事をひとつまみ。

この期間は怠惰に過ごしていた訳ではなく、ただただ忙しかっただけなのだ。

いう訳で、まずはレット美──名称については前回参照。要するにスティレットのロービジの事──の太腿や脚のパーツの合わせ目消し、墨入れ、髪の毛のグラデーション塗装、スカートなどの部分塗装、つや消し(完成)。

※ハイビジとロービジの違いも分からぬミリシラならぬミリ(タリー)素人だったので、全身塗装を覚悟していたのだが、ロービジ感はキットの成形色で十分な気もする。ただし、本命のゼルフィを考えると練習しておきたいが時間効率と相談したいので、一旦保留。髪の毛周りもプラのこ等を用いて、よりエッジを効かせた仕上がりを目指してみたい。あとは作例で見かけるネオジム磁石を用いた顔パーツ変更の為の髪の着脱を楽にする改造も練習すべきか。

レット美の作業での失敗を最小限にする為に、およそ初めての作業工程である合わせ目や墨入れ(筆?)、エアブラシの基本的な使い方、つや消しを在庫で余らせているガンプラ達(組み立て済み)とプラ板を用いて練習練習練習していく。

必要な道具は流し込みの接着剤、必要十分な塗料(塗料皿も)、ガール用の細い筆、エアブラシ一式(コンプレッサーやレギュレーターもか)、ガール用の径が細いハンドピース、換気用品(マスク等も)、塗装棒(台も)あたりか。

基本的に製作において、種類で買い過ぎた物品は別の機会に利用出来る可能性が高い(と思っている)ので、それ程問題はない。なお金額

にレット美用の充電くんも購入済みなので、ロービジな彼女に合わせた配色…だと地味過ぎるので、髪の色に合わせた配色を基本にそれを濃くした色と合わせて、それこそ敢えてハイビジの構想の名残を持ってきてイメージを大幅に変えたくないので、基本色はレット美の装甲色、関節部は髪の色に近いイメージで仮決定。

ここは先程の行程とそう変わらない気もするが、全身塗装にあたるので、サフ吹き(銀白色に近い色)の練習が加わり、合わせ目消し、墨入れ、つや消し(完成)。

本命であるゼルフィに至っては、仮組みどころか設計図読みしか行えてないので、本当にいつ完成なのか、自分の工作スキルの低さに恐れて完成を遅らせているのではないかと疑問が脳内から出ているが、今日は一旦ここまででご容赦頂きたい。

【日記】天の道を往き総べてを【FA:G】

#酒でも呑んだと思って勢いで書きましょう!

※#(ハッシュタグ)と♯(シャープ)って違うんだ…(戦慄)(無知・常識知らず)(自分を下げても良いことはそんなにない)

色々あって、FA:Gのスティレット(リニューアルのロービジ版)、つまりレット美──通称でもなんでもないが通常版がスティ子なので、ポプ子とピピ美みたいで良いだろう(満足気)──を組んでいるのだけれど、基本となる身体の部位を完成させる──武装や一部装甲は未完成なので実質イノセンティア──までに約一週間かかるのは、如何なのかと思う。

パーツを切り出してからヤスリがけに時間かけ過ぎなのか、参考にしているモデラーたちがプラモデルを作りすぎて作業工程に無駄ない凄腕なのか(一万時間の法則?)。BGVの選択ミスかもしれない。ストパンユニコーンみたいな神アニメ(死語かも)ではなく、もっと作業に注目がいくような[具体例が見つからない]にするべきかも。

最初に買ったゼルフィカールはレット美(let it beみたいな発音だな)で色々遊んで──基本の組み立てや、塗装してパーツが折れないかの確認、そもそも人並みにでも塗れるのかなどなど、説明通りに作る以外は完全にズブの素人なので──から取り掛かるので今年の夏頃までに完成すれば良いかなくらいの気持ちでいよう。

まだ完成とは云えないので、少し気が早いけれど、組み立てた感想はやはり股関節あたりの造形が美しい。スカートで臀部の一部が隠れているのに造形されているのは素晴らしいとどこかで読んだのだけれど、腰部分を引き出してやるとよーく見えるので、投稿者はまごうことなき紳士だったのだろう(もしくはキットが轟雷?規格一緒じゃないっけ?)。

プロポーションもかなり好み。全長157mmとHGのガンプラ(ファースト、おっちゃんが125mm)を基準とすると少し大きめにはなるが、筆箱に丁度入るくらいの大きさなので、学校や会社に持っていけば一躍人気者になるに違いない(白目)(誰もそこまで気にしていないので案外気付かれないかも)。

※FA:Gはプラモデルのサイズが実寸大なので直接関係しないが、人間サイズで考えたとき、10倍(157cm)の場合は小柄な少女といった印象になるが、11倍(172.7cm)の場合はスレンダーな体型で大人っぽいので、これも良い(なおIQ低そうな表情パーツたち)。更に付け加えておくと、足部分がヒールを履いたような形状となったいるため、恐らく5〜10cmくらい下がる。つまり、体重を測るときだけ武装を外して、身長を測るときは武装を取り付けるんだよぉ!


そろそろ、記事のタイトル回収をしておこう。

時は現代。あらゆる出来事がデータ化されて画像や動画のデータを電気信号として楽しむことが普及しつつある社会に取り残された者たちがいた(必見!?写真を撮る習慣を生み出す秘訣 - みなみのことうから)。その名をイキりTiんポ

※「イキりこどおじ」だとつまらないなぁと思って子供が好きな「うんち・うんこ」あたりにしようと思ったけれど、熱り立つに相性ぴったりな言葉が(ry(糞を糞で塗り固めたような酷さ)

するにだ、FA:Gを綺麗に・格好良く・可愛く・Hに仕上げようと考えたとき、物凄く幅広い知識が必要になるということだ。

基本的なプラモデルの作成(見本に近い出来)・改造工程を一通り踏まえた上で、場合によっては洋服を作ったり(アゾンなど製品を買うのも有りだが)、胸を盛ったり、顔の複製だったり、プラ板から錬成したり、髪などをグラデーション塗装したりetc…

これだけで終わりではなく、人様に見せようと思えば写真技術を磨いたり(凝ろうと思えば機材の投資も必然)、解説動画を作ろうと考えれば文章力とまとめ力、更には普通に演出やら構成やら(一部内容に被りはあるが)、ボイスロイドを導入…はしたらもっとやれることは増える。

別に伝え方はひとつに拘る必要もないが、上手く出来たら世界観をまとめたくなってミニジオラマとセットで飾ったりして部屋が足りなくなったり、そもそも積みプラでベッド以外が占領されていたり、ここまでに書いたことをちょっとずつ拘れば給料が趣味に消えたり(これは人によっては当たり前か)、逆に100均などで手に入る商品で価格を抑えるために定期的に徘徊したり、ガチャガチャ(ガチャポン?)やシルバニアファミリーで小物集めしたり(結局財布ポイントにダメージが入る)…

つまり奥深いなあと。

あとは、前述したけれど、写真を撮るなんて…とか思っていたのが馬鹿らしくなるほどモデラーたちの力作を収めたい気分になるし、自分の作品もそうしたいと思えてしまったのがびっくりだった。

一朝一夕で身につく物でもないし、触らないと分からない部分が多そうでもあるので、兎に角環境を整えたいと思いました丸

あとバイク良いよね。

CLANNADという世界を形作るものは

アルクまして、おめでェイド!
月姫リメイクのリリース決定おめでとうございます。新年です。の意)
f:id:Hunting_Matsuyama:20210102030946j:plain
※万病に効くものの副作用が酷いと云われて早10数年。副作用をも克服しかけている。

年末年始はいかがお過ごしでしょうか?(CLANNADの話だけ見たい方は適宜飛ばして結構ですよ

一年の計はガンプラにありという諺もあるとおり、皆様もプラモデル作りに勤しんでいますでしょうか。私は積みプラが増えました(嬉しい悲鳴)(FAガールはハマると増えるという都市伝説は真実だったようだ)。

丁度ニコニコ生放送の長時間アニメ鑑賞会が連日連夜あったので、良いプラモデル作り期間だったのだろう(成果は問わないものとする)。


んなこんなでCLANNAD」全4クール(所謂1期・2期)をニコ生のタイムシフトで見ました(あと「わしらの(ぼくらの)」も)。

見ようとしたきっかけとかはまあどうでも良いと思うのですが、これが最有力候補です。暇つぶしに見て♡(we will 号泣 - ニコニコ動画


ずは素朴な感想たちを──といっても他には考察もどきの妄想だけなので、どこまで行っても感想だ。

一番強く思ったのは、家族…人にもっと優しく行動できるようになろうということ。この年齢になって初めて出会えて良かったのだと思う。もう少しでも若かったら理解度が低かっただろうし、歳をとっていたら手遅れになっていたかもしれない。

他には、他で堂々とこんなことを書いたなら煙たがられたり、馬鹿にされそうだが(いやそんなことすらも起きないか)、自分の世界が非常に恵まれていることを嫌でも納得させられて泣いた、泣きまくった(inトイレ)。18話前後は画面(という名の視界)が歪みまくるので、一旦止めて落ち着いてから再開するも、直ぐにまた泣く全自動嗚咽機と化していた。

※一般に「泣きゲー」と云われる本作だが、泣きも燃えの原理と似通っていて、別種だが、同じ方向の感情を揺すってやるとより共鳴しやすくなるのだと思う。つまりは、本編での悲しい出来事や、それを乗り越えるエピソードとプレイヤー/視聴者の実体験がリンクしてくれればベストではないだろうか。


なんとなくの前情報や、ニコ生のコメントで作品テーマ──というよりタイトルの意味──が「家族」というのは知っていたのだけれど、家族(ないし共同体)を成立するために一度壊れる/壊れかける必要がある倫理観は泣きゲーらしいのではないだろうか。

※どちらかというと、テーマとして掲げられているのは「命のバトンを渡していく」ことだと感じた(「大人になること」をもうちょっと越えて伝えてくれたと考えているのだが、皆さんはどう捉えているのだろう)。

どこかの場面(最終局面手前あたりだったと思う)で主人公=ゲームをプレイする俺らを重ねさせているのだろう描写を感じ取ったのだけれど、この感覚は美少女ゲームを最低一度でも経験していないと得られる気がしない(無様な優越感ポイント)。ひょっとすると、メタ的にゲームをプレイしたり、作品を見たりしていないとゲーム本編に挑んでも得られない感覚かもしれない。

※追加しておくと、願いを叶えるために玉集め(ドラゴンボールとも)をするという大変な労力が、作品の最後に報われる──「失われた未来を求めて」のシナリオ構造が近いか──というのは、同時並行的に進むアニメだと感じにくい部分かもしれない。


ことみの話が好き──というかこの話だけで作品の伝えるべきところは押さえていないか?──なのだが、幼馴染は敗北する…のではなく親の温かみに支えられて道を切り開いていくのが主人公ーヒロイン成長物と考えた場合、メインヒロイン・メインテーマとは成りづらいエピソードだろう(グリザイアの幸を思い出しながら)(パッと見で好きなタイプは)(お前のタイプは聞いてねぇタコ!)(元ネタのたんぽぽ娘も宜しく)。

渚の死は直ぐに実感出来なかった──作品に入り込めないのではなく、現実感(アニメじゃない〜本当のことさ〜)がなかったというのが妥当だろう。物語の鉄板ではあるだろうが、事前知識で親子三人で歩いているような絵に見覚えがあったからだ。あと単純に私が人の死(動物関連もか)に鈍いことがあるせいもか。

4クールもの長さは愛しい。世界観を読者/視聴者に共有してもらえないと、その物語で発生する種々の事件にのめり込んで貰えないことがある。だから昨今のクソ長タイトルが生まれるのだろう(諸説アリ)けれども、それと似ていて、膨大な量のテキスト/映像=時間が没入感を与えてくれるのだ。無論その生み出される雰囲気を維持・形成していくための努力があってこそだが、上手くいったときの破壊力は知っての通りだ。


に、ニコ生視聴で感心させられた・気になったこと。

「かなりの読解力を要求してくる内容で、理解度によって作品の感想が違ってくる」という言葉はけだし名言だと思う。

CLANNADは人生から始まる伝統的な文言がある。コメントでは一つの作品だけで「人生」なんて(人間的に)小さすぎると見かけた。額面通りなら、そうであると言い切れるのだけれど、ゲームやアニメを通して改めて自身を見つめ直すということが出来て初めて、それが「人生」とまで昇華出来るのではないだろうか。つまり娯楽としてでなく教科書、手本としての見方だ。といっても、美少女ゲーム──この名称はエロゲだけなのだろうか。今回はCLANNADを含む全年齢のギャルゲも含んでいると一応明記しておく──のご都合宜しく「これからは幸せな生活を送るんだ」という終わり(ハッピーエンドとして見れば当たり前なのだろうが)な為、登場人物(=主人公)の人生の最後(=死)まで描写がないではないかと突っ込めなくはないかもしれない。
蛇足だろうが。

露骨に一期は新作だーまえの評価云々が多かったか(神様の生まれる日)。単純比較するべきでないがafterの方が来場者数もコメントも多い。学園物の美少女ゲームで主人公とヒロインが結婚後の生活や妊娠をどう乗り越えるのかということに焦点を置く作品はやっぱり物珍しいことも影響するのだろうか。ニコ生の視聴者年齢層が老人しかいないとかだったら悲C。

妊娠→渚死亡→育児放棄の流れでコメが「自宅出産はやめとけ」、「親父の方がまとも/朋也が親としてどうなの」みたいなところで上手く現実に戻してくれて良かった(小並感)。

良く言われそうな「朋也よ、大学くらいは出ておけ」は全くもって否定する気がないのだけれど、「自宅出産やめろ」「そもそも身体弱いのにオセッセも出産も慎重になるべき」「育児放棄」「病気の子の為に辞職は余計にキツくなるだけ」は正論でもあると同時に、現実そういう事例があることを知っているため、シナリオ書いた人も知っててワザとやっているのだろうなぁと凄く感心しつつ、全部悪い方向に進むことが分かり切っているので、効くものがあった。

親父の話で親父に憧れるのはちょっと分からない部分もある。勿論私が親の立場でないからということがあったりなかったりするかもだが、だーまえが執筆した年齢を考えれば誤解を解いて役目から解き放つことがベストなのだろう(例えば一緒に暮らして失った時間を取り戻す等の構想も一見なしではないはず)(何様発言なのだろう)。

最後(正確には最終回──ニコ生は+αがあったので一応。そちらは視聴できなかったが)の幻想世界に関しては「考察を見ろ」や(恐らく初見の方による)色々な解釈──ここが謎といったコメントは正直鬱陶しさもあったのだが──が流れていたので満場一致な最終結論が出ているわけではないのが不思議に思えた(名作ほど複数解釈可能という話も多々あるが)。これは親父との関係修復あたりでエンディング──渚は死んでしまったが、汐(娘)をきちんと育てていくよと自分の中でケジメをつけるエンドだろうか──を迎え本編が終了して良いという意見も確かに存在していることも踏まえて良いかもしれない。要するに物語の最後、作品の最終結論といっても良い部分をある種蔑ろにしても感動出来るし、何度も見たくなる作品となって「しまって」いる。

※この「内容を正確に把握出来ずとも、心を震わせられる」作品が存在するというのは非常に興味深い──といっても「理屈だけで泣いたり笑ったりするのが人間」というのが正しくないことは誰でも直感的に納得してもらえるだろう──がここで話したい内容ではない。要するに幻想世界の崩壊という難問に取り組む必要がある。これは非常に大変だ。なにしろ内容が分割されているし、抽象的なことが多い。そして、ちょっと検索しただけではどうやら参考にならない考察が多い。これは考察勢を馬鹿にしている訳ではなく、私自身が作品に対して納得出来る感想を求めているからだ(都合の良い感想が欲しいというのとは部分的に肯定だが違っている)。作中の言葉で説明することは少し頭が良いだけで出来るのだ。イベントごとの重要ワードをピックアップなり覚えていたりすれば良く、そこからその観察データを齟齬が発生しないように上手く並べれば良い。そしてその並びに対して作中の言及を根拠にしていればなお良い(これすら出来ないやつが偉そうに)。私はその先が欲しい。作者がどう思って/何を考えて書いたのか、偶然大ヒットすることが厳しいのは誰でも納得出来ると思う(ごく稀にその偶然もあるがまあ良い)(逆にそれだけ練られていたとしてもヒットしないこともある)


して最後に、結局どんな作品だったのだろうかと巡らしてみた。

セカイ系──正確に捉えているかは微妙なのだが、いわゆる「キミ(ヒロイン)とボク(主人公)」だけの世界でヒロインの問題が世界(彼らを形作る「狭い」セカイ)の危機に関わっている。ヒロインの死がセカイの死に直結している作品──からの脱却を図りたいのかなと感じ取った。正直に云って、根拠のない文章は「考察」の二字から謗られて当然と自覚して続けるが、大抵の美少女ゲームの場合、ヒロインに問題が起こった時は主人公がなんやかんや頑張ってヒロインを救ってハッピーエンド(Hがあったりなかったり)となるのだが、渚編(CLANNAD全般で云えるだろうか?)だと、主人公の動きによって、問題が解決出来る状況はそれほど多くない。それは朋也が学校では不良と扱われている立場の問題以外にも与えられるだけの立場である「子供」だからで、学園祭の前日に両親に負い目を感じているのがはっきりと現実化した件において、渚の両親が解決の一端になったことからも明らかだろう(読解力不足だとしたら申し訳ない。そして我が身にも思い当たる部分があり身につまされる)。

※卒業以降、渚と朋也の立場関係が逆転するのが面白い。問題を解決したヒロインの方が主人公よりも強いというのは納得せざるを得ない(グリザイアの果実>迷宮、楽園派の指摘も多少解消してくれる気がする)。
 

他にも謎の少女(汐のことだが一応)とそのセカイ(止まったセカイ/幻想世界)が消えることで、物語の世界(動きのある世界/作中の現実世界)が主人公の救済に向かうという一見セカイ系の香りを残しつつあるが、その実、救済は自分(=主人公である朋也)の行いの総決算でしかない。それは奇跡的な行為ではなく、与えることができる「大人」として誰でもが行なってきている当然の態度の延長によるものと敢えて安易に大きくしない態度からも見えるだろうか。

※とはいえ町=幻想世界がやっぱり上手く繋げられている自信がない。実際問題、テーマが「家族」だのなんだの言われつつそこに至ろうとする過程で町という一見無機的な観念が飛び出てくる──本編でもその感覚を取り払うためか町=渚・汐=幻想世界として扱うことで擬人化(?)して扱っている──のは違和感だし、それが物語の中枢に関わるのだから簡単に扱って終わりにするべきではない感覚だけはある。純然たる都会っ子で自分の家から出ていないという典型的こど☆おじなせいが大きいのかもしれないが、田舎から東京に出ていく経験があれば少しは違うのかもしれない。見当違いの妄想を広げるのなら、2000年前後の秋葉原の再開発によって今までの街の風景が変わってしまうことを予見して(実際問題、手続き等は始まっていたようだ)、街は変わっていくが、それでもそれを愛していけるのだろうかというメッセージが含まれていたのではと感じ取って無理やり納得しているのだが、その時代の空気感を知らないので、再開発に対する危機意識があったのかだったり、そもそも大阪に本社があるkey、ヴィジュアルアーツがそんなことを考えるのかだったりという素朴な疑問点・違和感が拭えない(最終決定でなくとも色々な意見を聞いてみたい)。


私自身拾えてないところは、作品の考察ブログを少し閲覧させて貰うだけで多々出てくるから、本当の所はもっと真剣に取り組めば取り組むほど楽しさが出てくるのは分かるのだが、それと同時にその考察(もどき)を話し合って紡がないと凄く意味のない作品にも思えるのは少し寂しい──生まれる時代を間違えたか──ので、最後まで読んで下さった方は「いいね」や感想を戴けると☆光の玉☆が生まれます。



※引用している他の美少女ゲームは全て「CLANNAD」よりも後年の作品です。やっぱCLANNADってスゲーじゃん。