アニメを“勉強”するのは間違いか?
「安達としまむら」の5話を視聴した。
話題にこそ出したのだが、このアニメを言及していきたい訳ではない(ファンの方申し訳ない)。
なんというか、この手のアニメ──安易な分類分けは危険なことは百も承知しているが──を視聴すると起きることがある。
内容を理解出来ないのだ。
この現象は俺ガイル(という略で良いのだろうか)でも起きた。
単純なストーリー、流れが追えていないのではないと思う。
なぜなら、基本的に一定の理解を得られないときは二周以上欠かさないからだ。
もしかしたら、私の理解不足ではなく、作品の表現力不足や伝えたい内容が大してないのかもしれない。
作品によっては零ではないかもしれないが、基本的にアニメ化までしていて、しかも大抵突き当たるのは有名な作品──件の俺ガイルなんて「このライトノベルがすごい!」に何度も受賞していたはずだ。一応アニメと小説というメディアの違いを理解せよ!事案ではあるが。──が多いため、今回は私に非がある前提で進めていきたい。
※伝説の会長。エ○ゲでもこのイメージが離れなかった諸兄は多いのではないか。
大体そういうときはGoogle様に頼って、感想記事や実況板で補完し、一先ず自分を落ち着かせる/誤魔化す。
ただし、基本的にはそういう書き込みをするような人は作品が好きだから布教をするのが主な目的であって、確実に私にとって欲しい情報(傲慢な奴め)があるとは限らない。
今回も最終的にはそうするのだろうが、ちょっと待って欲しい。
「アニメを勉強したこと」がないのではないだろうか。
ここで話したいのはアニメ史や業界がどうなっているのかではなく──最終的にはそれもあって(闇深案件なども)アニメが作られているので簡単に切り離せるものでないことは理解しているはずだ──ワンカット毎の意味合いや、人物・背景・小道具とそれらの見え方と意味、セリフ同士の間(無論息遣いも)から推測できること…他にもあるのだろうが、少なくとも今の私の想像力ではこれが限界だ。
これを把握できれば多少は作品の理解に繋がるだろうか。
何か受験の時に聞いたような、試験問題を作れればその手の問題は解けるみたいな発想だが、それほど間違っている気はしない。
問題は、単純に莫大な労力がかかりそうなのと、その大変さもあって作品は肌で感じれば良いのではという一般論じみた逃げが常に付き纏うことだろうか。
後は、扱う内容が手広すぎるせいで、ある種この世全てを学ぶみたいに物理的に不可能なことを発言してないか…だろうか。
ただまあ、実際にアニメ制作者はいるのだし、お禿様が自衛隊とオカマが存在しないことを嘆いていた(?)し、大丈夫だろう。
だから、普段視聴しているのはもう少しだけ注目するのに留めて、実践するなら一番楽そうなのは時間的に映画だろうか。